2019年8月17日

眞壁さんと水谷さん

遡る事2007年。Fリーグ開幕を1ヶ月後に控え小田原アリーナで行われるプレマッチの準備でクラブハウスに訪れたのが私にとっての湘南ベルマーレとの出会いでした。

神奈川県藤沢市で生まれ育ち、結果的に大学までサッカーを続けた自分にとって、地元のJリーグクラブとして知ってはいましたが、特段接点もなく、試合観戦に行った事もありませんでした。

もちろん、中田英寿さんや岩本テルさん、ロペスさんの事は知っていますし、日本代表でのプレーで熱くさせてもらっていました。なので、接点がないと言っても興味がないということでもなく、別次元の存在として認識していました。


P.S.T.C.LONDRINAは2000年に発足し、神奈川県を中心に活動をしていました。
今のような下部組織やフロント機能はなく、TOPチームが日本一を目指しただひたすらトレーニングを積む毎日だったと聞いています。

そんな中、日本フットサルリーグ(Fリーグ)の発足が決まり、ロンドリーナも参戦を希望するもクラブの運営母体としての信用はFリーグ参戦に認められるものではなく、そこで門を叩いたのが総合型地域スポーツクラブとして活動していた湘南ベルマーレでした。

アマチュアスポーツを運営していくのは本当に大変で、2019年の現在でもJリーグクラブがFリーグに積極的に参戦してこないのはそう言った意味を表しているんじゃないかと思います。

そんな中、ロンドリーナのTOPチームを移管した形で誕生したのが湘南ベルマーレフットサルクラブであり、ロンドリーナで活動していた選手はFリーグ参戦の夢を叶えることになります。

当時、ロンドリーナ側の窓口の中心となっていたのが、阿久津コーチであり、伊久間コーチであり、Fベルマーレ奥村監督でした。そして、彼らの想いを受け止めてくれて、レールをひいてくれたのが眞壁会長と水谷社長でした。

この時に女子チームとして活動していたロンドリーナVALENTE、TOPチームは移管し残されたロンドリーナの2軍、徐々に活動箇所が広がり始めていたロンドリーナスクールの名称や運営をどうするかという判断があったのですが、眞壁さんと水谷さんからは、今までロンドリーナの積み上げてきた歴史と実績を尊重して、ロンドリーナの名前を残して活動を続ける事を勧められました。

なので、この二人の判断がなければロンドリーナの名前は2007年で途絶えていたことになります。
普通に考えれば同じ名称で活動することが自然で、その時が絶好のタイミングだったはずなのになんでその判断だったのか、実はしっかり理解するのに10年ぐらいかかりました。

もちろんリスペクトの意味はあったと思いますが、きっと人の気持ちは簡単には切り替わらない事を知っていて、そう言った意味で、その時のベストな判断を取ったのだと思います。10年以上経った今、自然な形でベルマーレとロンドリーナは融合を続けています。

当時、我々と同じようにベルマーレとして活動する他の競技のビーチバレー、トライアスロン、ソフトボールとの全体会議が月に1回ありました。

その頃の私は時間も金も人の手も全然足りなく、かなりいっぱいいっぱいな毎日でしたが、この会議はとても楽しみにしていました。
日本のスポーツの未来や、スポーツを通じた教育の話、ベルマーレの存在意義など会議と、その後の居酒屋でたくさん聞きました。

私のスポーツに対する考え方や想いは、ここで育成された事ばかりです。

眞壁さんと水谷さんの考え方は、常識の2手3手先を行っていて、あとからその本当の意味を理解できる事が多いです。評論家じゃなく、当事者としてのスタンスを取り続けるのもすごいと思いますし、とても好きです。

これからも同じファミリーとして信じて歩んでいきたいと思います。
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【ロンドリーナのヒトとコト】

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